すみぺお渡し会レポ2

 多分今回はブログにするほどの内容が書けそうにないんですけれど……書いてみます。

 

 ちなみにちょうど4ヶ月前のお渡し会レポはこちらに載せてます。

 

syasyasyakaijin.hatenablog.com

 

 

 

とらのあな

 

 今回は上坂すみれさんの9枚目のシングル「POP TEAM EPIC」の発売記念ポスターお渡し会でした。3/10の名古屋回に行きたかったので泣く泣くとらのあなで購入することになりました。しかし10日に予定が入ってしまい、結果11日の東京に応募することに。だったらアニメイトで買っても良かったなぁ、完全なミスでした。

 

 それはそうと、幾重にも重なった最早奇跡とも呼べる偶然の仕業により私は今回二枚同じCDを購入してしまったのです。しかも二枚目の到着はイベント応募締め切り後という……一枚はお友達に布教しましたが、購入履歴画面、あまりにも見づらくないですか? 私のセンスがないのでしょうか。

 

 

お渡し会前夜

 

 前夜というか、30分前の話です。まず近くのドンキで噛むブレスケアとお茶を購入しました。これはかかせません。至近距離で接するわけですから。

 

 会場に着くと人が死ぬほど並んでました。席は指定なのでいつ行っても変わらないはずなのですがオタクは本当にせっかちです。10分前に行っても全く問題ないと思います。列に並びひたすら階段を歩くと本人確認でした。前回、あまりにも厳しく絶望の淵に立たされたかのような顔をする人間を生み出した本人確認を見たのでかなりスムースに進んだ気がしました。

 

 指定された席に座りオタクにまみれながらただただ待ち続けました。女性率が高く、一般女性を見ておくことで更に上坂すみれさんを可愛く思うことができました。

 

 時間になり、トークパートが始まりました。今回は須藤さんがいないらしく上坂すみれさん一人でのトークでした。今までのライブが全て赤字だったみたいな話を聞いて両国のチケット売れてないからTwitter復活した説は本当だったのかな、と。

 

 

声豚の笑い声

 

 声優のイベントに参加したことがある人はもれなく聞いたことがあると思いますが、声豚の笑い声はあまり快いものではありません。しかも彼ら、笑いのツボがかるく5000兆倍程度に増幅されてらっしゃるので、くすっとする程度の話で大爆笑が起こります。いや、気持ちは分かるけども。

 

 ディズニーランドでアホみたいに騒ぎながらミッキーに手振ってる感覚なんでしょうね。演者だけノリノリで観客が冷めてるライブはつまらなく思えますからね。じゃあやはり、声豚がそもそも気持ち悪すぎるので何をしても不快に思ってしまうということになるのでしょうか。そうだとしたらあまりにも理不尽で……

 

 

お渡し会レポ

 

 そんな声豚に耐えながら待つこと一時間ほど、ついに私の番がやってきます。まぁ二回目なんでね、余裕ですよ、といった態度で冷静に待ち続けていましたが彼女を目の前にした瞬間に繕っていたすべてが音を立てて崩れ落ちました。そうです、一回お会いしたくらいでは慣れるはずもなくド緊張のままご対面しました。会話内容は以下の通りです。まぁ全然覚えておらず全く正確ではないのですが。

 

私「めちゃくちゃ可愛いですね…」
上「それ以外言うことないのか!(こんな言い回しだったか定かではないがこんなようなことを)」
私「世界一可愛いです」
上「もっと想像力をふくらませて!」
私「宇宙一可愛いです」
上「もう…いいです今日のところはお帰り下さい」

 

 このあとわちゃわちゃして手を振りお別れです。

 

 

 いや、ひどい。ひどすぎるなこれ。「可愛いって言っていいですか?」から始めようとしてイケメンしか言うことを許されない台詞だなと思ったのでこうなりました。びっくりするほど言葉が出てこないんですね、これ会話ですか? Siriのほうが人間的な受け答えできますよ。結局○○可愛いですしか言ってないの頭悪すぎる……頭を抱えるくらい恥ずかしくキモいことしか言えなかったので次は会話らしい会話をしたいですね。ちゃんと考えないと頭に浮かんだことしか出てこないことがよくわかりました。(それくらい可愛かった)

 

 なんか、可愛いくらいしか言うことのない存在だって思われていたら嫌ですね……私の中であなたは神にも値する存在なのですが……

 

 

 

そんなわけで上坂すみれさんのお渡し会に参加したという話でした。


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ZOZOTOWNを使ってみたら生きるのが馬鹿馬鹿しくなった話

ZOZOTOWNを使ってみた 

 

 先日、初めてZOZOTOWNを利用した。Amazon楽天などの通販サイトを常日頃から利用していた私は敢えて利用するサイトを増やすことに多少の手間を感じたが(しかも非常に限られたものしか売っていない通販サイトである)、使用してみると案外使い勝手の良いサイトであった。

 

 まず扱っている商品が衣服等に特化しており、それらに関してはおそらくAmazon楽天の比ではないだろう。しかもセールが頻繁に行われており安く買える上、クーポンを毎日配布している。購買意欲を煽りまくりである。サイズ表記も当然あり、以前購入した商品との比較ができる点も良い。

 

 一番の強みはコーディネートサイトであるWEARとの連携ではないだろうか。コーディネートから商品の検索もできる上、欲しい商品や購入した商品を使ったコーディネートがWEARに投稿されていれば、閲覧できる。他のサイトではモデルが着用した写真しか見ることができない。商品名で検索すればWEARで閲覧することも可能だがそれをスムースにできるのがZOZOTOWNということだ。

 

 ただ、ランキングは信用ならないらしく、包丁が一位になっていたことからもそう言えそうである。包丁が。

 

買ってみた

 

 通販サイトで服を買うのは実際に触れなかったり試着ができないのであまり好きではないが、3000円クーポンに負けてしまった。

 

 なんと、Mサイズの服を買ったのにもかかわらず届いた商品はLサイズであった。大は小を兼ねるので着ることにしたが、二度と使うもんかと憤慨した。(着てみたらLサイズでもまぁいいかという感じだった) そしてその後1ヶ月間で3回利用することとなる。ZOZOSUITを注文し、おまかせ定期便というサービスにも申し込んだ。二度と使うもんかとは何だったのか、完全に飲まれてしまった。

 

 

ZOZOTOWNに飲まれる

 

 ZOZOTOWNに飲まれた私は毎日目当てのアイテムをチェックし、WEARでコーディネートを確認する……とまではいってないがいずれそうなってしまうという危惧がある。

 

 おまかせ定期便というのは事前にトータルコーディネートされたセットが送られ、それを着れば君もおしゃれさん!というサービスらしい。ZOZOSUITという寸法を計測できる優れたものと組み合わせることで、完全に受け身でファッションを楽しむことが可能になった。それが楽しいのかどうか分からないが。着せ替え人形じゃないか。

 

 手軽に衣服を購入し、コーディネートを閲覧し、ついに何も考えずにトータルコーディネートをしてくれる時代になった。もはやこれは身だしなみについてかんがえないことと同義じゃないか。気を使って身だしなみを整えるなんて馬鹿馬鹿しい。自己満足でしかない。

 

 

 いや、考えてみたらもうこの人生、思考放棄も思考放棄、自己満足に満ち溢れたものになってはないか。生きて行うことの大半が何も考えずに行っていることだ。誰の役に立つわけでもなく自己満足で完結する。

 

 どこからともなく用意された”人生”というトータルコーディネートを着飾って与えられたものを受け入れて生きていく。私にはあまりにも馬鹿馬鹿しく、思えてならない。

 

 

 

 

ORANGE RANGEのライブに行った話

ライブに行った

 先日、ORANGE RANGE LIVE TOUR 017-018 〜UNITY〜に参加してきた。諸事情により日程や会場などは伏せる。(セトリでバレそうなところはある)

 ORANGE RANGEのライブは昨年8月のRANGE AID+ presents "RWD←SCREAM 017"振り。これは2006年発売のアルバム、「ORANGE RANGE」に収録されている曲をひたすらやるライブだったが今回は最新EPである「UNITY」を中心に幅広い年代の楽曲を聴くことができてとても楽しかった。

 

ライブ中のお話

 まず1曲目に先行でシングルカットされた「チラチラリズム」これに関しては以前のブログで述べている。

 

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  前回のライブでもアンコールで歌われたので予習済み。一発目から盛り上がる曲を入れてきたなと感じた。(前回は1曲目が「STEP BY STEP」でしっとり始まった。あれも良かった)

 2曲目以降の曲順はあまり記憶がないが事前に他公演のセトリを確認していた時には見られなかった、見落としかもしれないが、「イカSUMMER」を聴くことができて大変満足だった。「お願い!セニョリータ」は聴きたかったなぁ。

 ORANGE RANGEのファンでない人もおそらくそこそこ楽しめるセトリとなっており、「UNITY」収録曲を除いて殆どシングル曲。アルバム曲は大体各アルバムから1曲ずつであり、一番売れたアルバム「musiQ」から4曲(そのうち1曲は以心伝信であるが)と良心的なセトリであった。

 

 「ビバ★ロック」や「ラヴ・パレード」等の人気楽曲が聴けたことは勿論、「リアル・バーチャル・混沌」、「U topia」等のマイナー曲の選曲もベストであった。特に「U topia」はかなりライブ化けする楽曲でありCDで聴く感じと違った雰囲気であった。「U topia」もそうだが、「SUSHI食べたい」も歌詞がはちゃめちゃで比較的おフザケソングに分類されるがライブで聴くとびっくりするほどかっこいい。「UNITY」収録曲である「アオイトリ」がかなりかっこいいロックでこれを聴けただけで元を取れたと言っても過言ではない。

 

 MCも円盤化しないことを前提としたみたいな自由奔放なトークでとてもにぎやか。前回参加したライブはライブハウスだったが今回は全席指定の市民会館で客層も女性と男性が6対4くらい、年齢層もかなり広めで(正に揺りかごから墓場まで)温かさを感じる会場であった。

 

 

オタクにはアウェイ

 あぁ、僕はクソキモオタクだった、と思わされた。圧倒的に20代が多く、私が浮くことは基本的にはない会場だったが、声優のイベントやライブに入り浸っているとライブの感覚が麻痺しており通常のライブに参加することが極めて困難になり、限りなく地蔵に近い振る舞いをとらざるを得なかった。いや、勿論文字通りの地蔵になってたわけではないがかなりのアウェイ感を覚えた。(クソキモオタクしかいない弊学の学園祭に一般アーティストがゲストとして来た際、ケチャをするオタクを見て笑ったことを思い出した)

 でも、曲やタイミングごとに定められた動きがあるのは若干アイドル感があり、安心した。ただそれがわからなくて困ったが。あの、ここではこうするのがファンの間では当たり前みたいな同調圧力にも近い振る舞いがライブでは苦手なのだ。これはオタクがどうのとかの話ではなく、(寧ろアイドルや声優の方がその傾向が強いので) ライブという体験すべてに言える話にはなるが私はライブ中観客を見てることが多い。観客の振る舞いに合わせて同じような行動を取ろうと無意識の内に働きかけている節がある。ライブの一体感というものは楽しむ上で重要なのであろうし、それを観客も演者も求めているのだろうが、そればかりに集中してしまい本質の演出に気が向かないことが多々あって困る。最前列の熱狂的なファンを見ると、周りに合わせることなく自由に音楽に乗っていてとても楽しそうにしていた。自分の好きな方法で楽しむのが一番なのかもしれないが、どうしても。

 

 

聴きたい曲

 とても自己満足的なブログになったのでぼくのかんがえたさいきょうのORANGE RANGEのせとりを書いて終わろう。なお、曲順はそんなに考えていない。ベスト25を選出した。

 

  1. Иatural Pop
  2. O2
  3. 山内公園
  4. サムライマニア
  5. トーキョーガールズコネクション
  6. 現実逃避
  7. Restart
  8. Oh! Yeah
  9. ミチシルベ~a road home~
  10. *~アスタリスク
  11. ゆうぐレッド
  12. STEP BY STEP
  13. 風灯らす
  14. Insane
  15. ジャポネーゼ
  16. FACTORY
  17. リアル・バーチャル・混沌
  18. Walk on
  19. ビバ★ロック
  20. 今すぐMy way
  21. GOD69
  22. Baby Baby
  23. お願い!セニョリータ
  24. SP Thanx

  25. ほほほ

 

以上です。

傘を盗まれた話

 先日、傘を盗まれた。そう、あの傘。

 

 

 

 傘とは、雨や雪、あるいは日差しから身を守るためにはるか昔から用いられている道具であり、我々の生活に必須のアイテムである。

 

 今回、私が盗まれた傘はいわゆるビニール傘でありコンビニで600円~1000円程度で購入できる。ビニール傘は一般的に使い捨て品のようにみなされ、盗み盗まれることが常である。傘だけは、何故か当たり前のように盗んでいく。何故だろうか。

 

 傘を盗まれ、失った人々は雨に打たれながら道を歩くことになる。お金を出して買った傘、当然買った人のものであり盗んでいいはずがない。傘が欲しければ買えばいいのだ。欲しいものを自分のお金で買うのは当然であろう。そうであるにもかかわらず傘を罪悪感なく盗んでいく輩は大勢いる。

 

 傘ならばいいのではないか、傘くらいなら盗んでも、という気持ちは間違っている。まわりに車や歩行者がいなくても赤信号では止まらなくてはならないし、20歳の誕生日前日でも酒やタバコは禁止されている。相手にいくら頼まれていたとしても人を殺してはならない。傘だからといって盗みを働くことが看過されることは決してない。

 

 そもそも、傘ならいいだろうという、自分の価値観で傘を測ってることが大間違いなのである。もしかしたら盗んだ人にとってはその傘が道端に落ちている石やゴミと同様に見えているのかもしれない。盗むという意識がなく、拾ったとすら思っているのかもしれない。いや、傘立てに傘を捨てるわけがないだろう。傘立てに立てている時点でそこの傘はゴミではない。たとえゴミが混じっていたとしてもそこから傘を取っていい理由にはならない。私の傘は決してゴミではない。

 

 

 傘は盗まれたのではなく、間違えて取られたと考えることもできる。ただ、それは一般的なありふれた傘の場合のみ適用される。私の傘は見分けがつくように施された唯一無二の傘であり、取り間違えることはほぼない。あったとしても間違いにはいつか気付く。そっと傘立てに戻してくれればいい。しかしいつまで経ってもあの傘立てに私の傘が戻ってくることはない。紛れもなく私の傘は盗まれたのだ。絶対に許さないからな。

 

THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTYの感想を真面目に書いてみる

 先日、THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTYの二回目に行ってきました。通称「リミスリ」らしいです。


sleepingbeauty-movie.com

一回目を観てからどうしてももう一回観に行きたいと思い、交通費を払って観に行ってきました。

 

前回観たときはあまりの衝撃に頭の中が整理できなかったのですが、二回目を観たことでかなりまとまってきました。

 

ちなみに、一回目を観た感想は過去のブログにちょこっと載せています。

 

syasyasyakaijin.hatenablog.com

 

前述の通り、全然まとまってないのでかなりの駄文となっています。

でも二回観た今ならちゃんと書けるような気がします。きっと。

 

 

 

THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY

 

 この作品は映画監督、二宮健が2014年に制作した「眠れる美女の限界」のセルフリメイクである。原作は親子をテーマにした作品だったらしいが、今作では男女の恋愛が基調として描かれている。

 過去、現在、未来が同じ空間の中、同時に存在しているという、スポットライト理論がこの作品において重要なキーとなっており、時系列がめちゃくちゃな中、まるで過去、現在、未来を行ったり来たりしているような構成が取られている。(過去、現在、未来だけでなく現実、妄想も) 

 

 ストーリーは公式サイトをコピペ。

主人公・オリアアキは、29歳の売れない女優。女優を夢見て上京し、ふと立ち寄ったバーでサーカス団を営むカイトに出会う。それから10年、毎日小さなサーカス団でマジシャンの助手をするアキ。30歳を目前にしたアキには仕事への熱も生きる目標もない。ルーチンワークのように繰り返されるのは、催眠術にかかるという演技。体を浮かされ、剣を刺され、催眠状態を演じているうちに、やがてアキの精神は徐々に摩耗し、いつしか現実と妄想の境界が破たんを迎えようとしていた。何故生きるのか? 何を夢見たのか? 何を目指すのか? 唯一アキの中で美しい思い出として残るのは恋人・カイトとの時間・・・。自分が生きてきた人生の軌跡、アキが生きる現実と、叶えられなかった様々な妄想が入り乱れる。そして2つの世界の境界が壊れようとしたとき、アキの人生再生がはじまる・・・?!  THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY

 

と、まぁこんな感じ。主人公であるオリアアキはハムレットのオフィーリアに特別な思い入れがあり、オフィーリア役のオーディションにも行っている。オリアは、オフィーリアを縮めたものだと思われる。パンフレット情報だと、カイトの苗字はサダらしい。劇中には出てきただろうか、記憶がない。もう一人重要な存在としてブッチという存在がいる。これはアキの精神を写す存在として現れ、様々な助言や叱咤をする。

 

感想

 この間のブログでは、この映画は「考えるな、感じろ」がすべてではないかと思いながら感想を書いた。現実と妄想、過去と現在と未来が入り交じるような構成の中、何が正しくて何が間違っているのか、本当のアキは今どこにいて私達はいま何を観ているのか、そういったことを深く考え理解しようとせず一瞬一瞬を感じ取るような姿勢で観るのが最適なのではないかという考えであった。

 

 しかし、監督のツイートを見て、”謎解き”をしてもいいのではないかと思わされた。つまり、現実の時系列を頭の中で揃えてもいいのではないかということである。

 ここにはこの映画をより楽しむヒントが書かれており、カオスに交錯されたものを整理して、理解した先に見える何かが描かれているということではないだろうか。

 前回のブログで現実の時系列をこうまとめた。

 

アキ、家出する。カイトと出会う オーロラに入り二人が仲を深める カイトの死 オーディション オーディションに落ちる リュウと映画を作ることに ヤクザ クラブでドラッグ 運ばれて病院へ そこから幻想、妄想を見るように

えいがいろいろみた - 次の逃げ場所

 二回目を観てこれは違うなと思った。

 5つ目のヒント、「あなたにとって当たり前の存在が、他の人にとってはそうでないこともある。アキにとってそれは誰と誰と……」から推測するにブッチだけでなくカイトもまたアキが妄想の中に作り出した存在だったのではないだろうか。これは前のブログでも言及しているが、カイトがいないとなると最初からすべてが妄想だった、というオチも有り得る。劇中で描かれていないところに本当のアキがいて、その子の妄想が描かれた映画だったとしたら……

 

 カイトが実在する人物だという前提の元、もう一度現実の時系列を整理してみようと思う。

  1. アキ、家出する。カイトに出会う
  2. オーロラに入り仲を深める
  3. カイトの死
  4. オーディション
  5. リュウと映画をつくることに

と、ここまでくらいは現実かもしれないがこの先が読めない。精神病院と地下クラブはほぼ確実に妄想世界であるから除外。そもそもブッチが出てくるシーンが妄想であることを表している可能性が高く、そう考えると屋上で二人が話すシーン、アキが女優として成功した世界、精神病院、地下クラブ、オーロラが爆発するシーンはすべて妄想世界である。

 ただ、地下クラブであやしい薬の入った酒をたらふく飲んだことで妄想世界と現実が入り乱れるようになったとしたら、ヤクザに犯され地下クラブに逃げ込んだところまでは現実で、そこから女優として成功する妄想を見始めたのかもしれない。

 

また、一つ目のヒントでアキの髪について言及している。アキの髪型はカイトに出会った当初のボブカット、オフィーリアのオーディションを受ける時などのやや長めで赤みの混じったボブカット、女優として成功したロングの巻き髪、精神病院にいるときのショートカットの4つがある。

 

 唯一(?)髪型が切り替わるシーンがあり、アキとカイトがセックスをするシーンである。ぐるぐると回るようなカメラワークで撮られたこのシーンではカットが入るごとにアキの髪が切り替わっており、このシーンが一つ目のヒントと関連して非常に重要であることが分かる。どの時間のアキも同時に存在していたことを表しているのだろう。このヒントでは髪型というより「色」に重きを置いているようである。髪色が異なるのは赤みがかかった時だけでありそれ以外はすべて黒髪である。

 髪の色によって現実か妄想かを見分けられるとしたら、女優として成功したアキが黒髪であることから現実世界は赤いアキで妄想世界が黒いアキということなのだろう。ただ、そうするとカイトと出会ったアキが黒髪なので前提が崩れる。やはり、カイトは存在しないのだろうか。しかも、赤いアキとブッチが会話するシーンもありブッチが存在する世界=妄想世界という予測も外れてしまう。

 

考えれば考えるほどわけがわからなくなってしまう。やはりこの映画は考えずに感じるものなのだろうか。

 

解釈

このような検討を行った上で、ここから私の解釈による「リミスリ」の読み解き。

 

 一つ目のヒントがミスリードになっており、髪色と現実か妄想かは関係なく、現実の赤いアキもいれば、妄想の赤いアキもおり黒髪も同様である。一つ目のヒントが表すアキが「今」どこにいるのかというのは過去、現在、未来という時空としての位置であり、過去、現在、未来が同一世界に存在するスポットライト理論にも当てはまる。このことから、アキがカイトと出会った世界は現実であり、現実と妄想を見分ける鍵としてブッチがいるといえる。ブッチが出てくるシーンは屋上での会話、女優として成功したアキ、嵌められたアキ、精神病院、地下クラブ(物語後半)がある。

 

  アキはカイトの死から、女優として成功するという夢を現実だと誤認してしまうようになった。過去から現在へ、現在から未来へとスポットライトが移動するように現実と妄想も同じ空間に存在しており、現実から妄想へ、妄想から現実へとスポットライトが移動するということをスポットライト理論を持ち出すことで伝えたかったのではないか。「この世界は全部お前のもんだ」というブッチがアキへ向けた台詞。まさしく、過去、現在、未来、現実、妄想のすべてが同一世界に存在しそれが全部アキのものだと言っているのだろう。この世界は全部自分のもので、何もかも思い通りにいくかもしれない。だが、現実と妄想の混在した空間の中、現実に目を向けなければならない時が来る。

 

 現実から目をそむけ続けたアキはカイトとの決別をすることでついに長い夢から目を覚ます。カイトという心の拠り所を失ったアキが作り出した妄想から抜け出すために手放さくてはならなかったカイトという存在。カイトが死んだ30歳になり、アキは生きるか死ぬかを強く考えるようになった。カイトと同じ年齢で死ぬことができたら、そんな風に考えていたかもしれない。オーロラとカイト、アキにとって重要な存在であったと共に、過去に縛り付けるものでもあった存在と自ら別れることを選択することが必要だったのだ。

 

 

魅力的な楽曲

ストーリーについて考えていたら頭が痛くなってしまったので、ここで劇伴の紹介。どの楽曲も監督が自ら選曲したという。

soundcloud.com

 

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是非聴いてみてほしい。

 

 

まとめ

結局まとまらなかった。考えれば考えるほど深みにハマったような……三回目を観たらもう一度書いてみたい。

 

コンテンツ大量消費社会

 昨今、インターネット上に蔓延る様々なメディアコンテンツは凄まじいスピードで大量に消費される。スマートフォンの爆発的な普及によって、いつでもどこでも膨大な量の情報を入手できるようになった。毎日新たな情報、コンテンツに触れることによって一つのコンテンツに費やす時間が格段に短くなっているのではないだろうか。日本国民、あるいは世界中の人間の殆どが格差なく入手、アクセスできるものがスマートフォンあるいはインターネットの普及によって従来の新聞、テレビ、ラジオ等のマスメディアによって発信されるもの以外にも一般人が発信する自分に纏わる情報やコンテンツなどにまで拡大された。お金をかけて作られた音楽や書籍、ゲームなど様々なコンテンツ、またはそれについての情報と一般人が投稿し、RTを大量に稼いだツイートが同等の価値をもって判断されるという危機がある。

 

 それには無料で入手できるという点が大いに関わると考える。通常、有料で入手するようなコンテンツ(インターネットを介さないものであればほぼすべての物体がそれに該当するが、インターネット上でいえば楽曲や書籍のダウンロード、有料ゲーム、その他有料コンテンツである)は排除性を持つ。また、基本的にデジタルコンテンツは物体そのものがないので無くなることはなく、非競合である。つまり、無料で手に入るデジタルコンテンツ、デジタルな情報は公共財なのである。このような取得する人を選ばず、インターネットにアクセスさえできれば誰もが意図せず受け取れるものが大量に飛び交う中で、何か一つに執着することが難しくなっている。お金を払って購入するものは自分が求め手に入れたものであり、何かしらの思い入れもあるが、無料で手に入る何の思い入れもないものはすぐに消費されてしまうのである。

 

 インターネット上に蔓延るデジタルコンテンツ、情報はやがてすべて無料化されるのではないかという懸念がある。(これを喜ばしく思う立場の人もいるだろうが) 実際、音楽や漫画、アニメ、ドラマなどの違法アップロードは今に始まったことではなく、それに対抗すべきなのか単に宣伝の意味なのかは分からないが公式のYouTubeチャンネルにてミュージックビデオを公開することや、制限が加えられるものもあるが漫画を無料で読めるような公式のアプリやサイトがある。またTVerというサービスでは放送が終了した番組を一部無料で視聴することができる。基本無料のソーシャルゲームも主流となり、デジタルコンテンツにお金を払うことに躊躇いがあるどころかお金を払って得るという価値観すらない人もいるのではないだろうか。

 

 そうしたデジタルコンテンツにはお金を払わず瞬間的に大量に消費する。お金を払うのはライブ、コンサート、美術館、動物園、遊園地、映画などの体験になる。あるいは物体化された書籍やCDをその情報自体は無料で手に入るものの、お布施的な意味で購入することが考えられる。例外的にデジタルコンテンツへの課金としてソーシャルゲームへの課金があるがゲームに関してはそれ自体が体験と言い表せる面もありなんとも言えない。

 

 

 と、こんなことは今更文章化するまでもないことなのだが、私が言いたいのは「バーチャルYouTuberの明日はどっちだ」ということである。今、バーチャルYouTuberは爆発的な勢いがある。そう、この爆発的な勢いというところが問題なのだ。あっという間に消費されてしまうのではないだろうか。一ヶ月後には忘れ去られているのではないだろうか。

 こんなことを言っている私ですらもう全く動画を見ずツイッターもリムーブしてしまっているかもしれない。そうなったらとても悲しい。一時の流行りに乗りチヤホヤした後、流行が去ると共に忘れ去ってしまう。そんなことがあってもいいのだろうか。月ちゃんへの愛はそんなものだったのだろうか……というバーチャルYouTuberを忘れないための決意のブログ。

上坂すみれに生かされてる

 昨年は上坂すみれさんに生かされた一年でした。彼女見ながら大晦日を過ごしました。最高でした。昨年は彼女と会話をすることもできました。彼女のために生きていたと言っても過言ではありません。

 

 人生の選択、我々は日々様々な選択をします。今日はラーメンを食べるだとか、カレーを食べるだとか。そういった選択は自分の意思でしているつもりかもしれませんが実はそうではないのです。この世に偶然などなくすべて必然の重なりなのです。たまたま私は今日ラーメンを食べたかもしれない。しかしそれは第三者によって操りうるものなのです。私の人生はすべて、すべて決定されているのです。

 そう、上坂すみれさんに。

 彼女が生きていることによって私の人生がどうあるべきかが決定されます。彼女がCDを出す、声をあてたアニメが放映される、ライブを開催する、写真集を出す、ブログを更新する、など様々な芸能活動をすることで私は自然と彼女を追いかけていることになります。つまり、これは彼女に人生を決められているということではないでしょうか。

 

 

 上坂すみれさんに人生を決定されている。上坂すみれさんに生かされている。