傘を盗まれた話

 先日、傘を盗まれた。そう、あの傘。

 

 

 

 傘とは、雨や雪、あるいは日差しから身を守るためにはるか昔から用いられている道具であり、我々の生活に必須のアイテムである。

 

 今回、私が盗まれた傘はいわゆるビニール傘でありコンビニで600円~1000円程度で購入できる。ビニール傘は一般的に使い捨て品のようにみなされ、盗み盗まれることが常である。傘だけは、何故か当たり前のように盗んでいく。何故だろうか。

 

 傘を盗まれ、失った人々は雨に打たれながら道を歩くことになる。お金を出して買った傘、当然買った人のものであり盗んでいいはずがない。傘が欲しければ買えばいいのだ。欲しいものを自分のお金で買うのは当然であろう。そうであるにもかかわらず傘を罪悪感なく盗んでいく輩は大勢いる。

 

 傘ならばいいのではないか、傘くらいなら盗んでも、という気持ちは間違っている。まわりに車や歩行者がいなくても赤信号では止まらなくてはならないし、20歳の誕生日前日でも酒やタバコは禁止されている。相手にいくら頼まれていたとしても人を殺してはならない。傘だからといって盗みを働くことが看過されることは決してない。

 

 そもそも、傘ならいいだろうという、自分の価値観で傘を測ってることが大間違いなのである。もしかしたら盗んだ人にとってはその傘が道端に落ちている石やゴミと同様に見えているのかもしれない。盗むという意識がなく、拾ったとすら思っているのかもしれない。いや、傘立てに傘を捨てるわけがないだろう。傘立てに立てている時点でそこの傘はゴミではない。たとえゴミが混じっていたとしてもそこから傘を取っていい理由にはならない。私の傘は決してゴミではない。

 

 

 傘は盗まれたのではなく、間違えて取られたと考えることもできる。ただ、それは一般的なありふれた傘の場合のみ適用される。私の傘は見分けがつくように施された唯一無二の傘であり、取り間違えることはほぼない。あったとしても間違いにはいつか気付く。そっと傘立てに戻してくれればいい。しかしいつまで経ってもあの傘立てに私の傘が戻ってくることはない。紛れもなく私の傘は盗まれたのだ。絶対に許さないからな。