コンテンツ大量消費社会

 昨今、インターネット上に蔓延る様々なメディアコンテンツは凄まじいスピードで大量に消費される。スマートフォンの爆発的な普及によって、いつでもどこでも膨大な量の情報を入手できるようになった。毎日新たな情報、コンテンツに触れることによって一つのコンテンツに費やす時間が格段に短くなっているのではないだろうか。日本国民、あるいは世界中の人間の殆どが格差なく入手、アクセスできるものがスマートフォンあるいはインターネットの普及によって従来の新聞、テレビ、ラジオ等のマスメディアによって発信されるもの以外にも一般人が発信する自分に纏わる情報やコンテンツなどにまで拡大された。お金をかけて作られた音楽や書籍、ゲームなど様々なコンテンツ、またはそれについての情報と一般人が投稿し、RTを大量に稼いだツイートが同等の価値をもって判断されるという危機がある。

 

 それには無料で入手できるという点が大いに関わると考える。通常、有料で入手するようなコンテンツ(インターネットを介さないものであればほぼすべての物体がそれに該当するが、インターネット上でいえば楽曲や書籍のダウンロード、有料ゲーム、その他有料コンテンツである)は排除性を持つ。また、基本的にデジタルコンテンツは物体そのものがないので無くなることはなく、非競合である。つまり、無料で手に入るデジタルコンテンツ、デジタルな情報は公共財なのである。このような取得する人を選ばず、インターネットにアクセスさえできれば誰もが意図せず受け取れるものが大量に飛び交う中で、何か一つに執着することが難しくなっている。お金を払って購入するものは自分が求め手に入れたものであり、何かしらの思い入れもあるが、無料で手に入る何の思い入れもないものはすぐに消費されてしまうのである。

 

 インターネット上に蔓延るデジタルコンテンツ、情報はやがてすべて無料化されるのではないかという懸念がある。(これを喜ばしく思う立場の人もいるだろうが) 実際、音楽や漫画、アニメ、ドラマなどの違法アップロードは今に始まったことではなく、それに対抗すべきなのか単に宣伝の意味なのかは分からないが公式のYouTubeチャンネルにてミュージックビデオを公開することや、制限が加えられるものもあるが漫画を無料で読めるような公式のアプリやサイトがある。またTVerというサービスでは放送が終了した番組を一部無料で視聴することができる。基本無料のソーシャルゲームも主流となり、デジタルコンテンツにお金を払うことに躊躇いがあるどころかお金を払って得るという価値観すらない人もいるのではないだろうか。

 

 そうしたデジタルコンテンツにはお金を払わず瞬間的に大量に消費する。お金を払うのはライブ、コンサート、美術館、動物園、遊園地、映画などの体験になる。あるいは物体化された書籍やCDをその情報自体は無料で手に入るものの、お布施的な意味で購入することが考えられる。例外的にデジタルコンテンツへの課金としてソーシャルゲームへの課金があるがゲームに関してはそれ自体が体験と言い表せる面もありなんとも言えない。

 

 

 と、こんなことは今更文章化するまでもないことなのだが、私が言いたいのは「バーチャルYouTuberの明日はどっちだ」ということである。今、バーチャルYouTuberは爆発的な勢いがある。そう、この爆発的な勢いというところが問題なのだ。あっという間に消費されてしまうのではないだろうか。一ヶ月後には忘れ去られているのではないだろうか。

 こんなことを言っている私ですらもう全く動画を見ずツイッターもリムーブしてしまっているかもしれない。そうなったらとても悲しい。一時の流行りに乗りチヤホヤした後、流行が去ると共に忘れ去ってしまう。そんなことがあってもいいのだろうか。月ちゃんへの愛はそんなものだったのだろうか……というバーチャルYouTuberを忘れないための決意のブログ。