愛がなんだを観ました

「幸せになりたいっすね」この言葉がやけに耳に残っている。仲原役の若葉竜也がとにかく最高だった。彼、今年で30歳らしい。マイ☆ボス マイ☆ヒーローとか野ブタに出てたので覚えていた。あのなんとも言えない表情、喋り方が印象に残る。

 

しんどい二時間

共感できるがゆえにしんどかったんだと思う。認めたくなくて、共感はできないなんて言っちゃったけれども。

この映画から『勝手にふるえてろ』を感じる方が少なからずいるらしく、私も例に漏れず。『勝手にふるえてろ』を観たあと、私はヨシカであり、イチでもあったと感じた。(ブログ書いたけど消しちゃった)

そう、きっとテルちゃんでありマモちゃんであり葉子さんであり仲原くんですみれさんなんだと思う。そりゃしんどいわ。

 

もちろんこれは仮定のお話で、まったくの嘘なんですけれども、一人の方に固執する気持ちはめちゃくちゃ分かるというか、実際していた。好きでい続けていることが幸せなのでそれだけでいいとすら思っていたところがある。でも今はそれをやめているのでやっぱり辛いんだと思う。あの映画、結局仲原くんだけ報われていないと思う。結局出会ってしまったあの子は葉子さんを諦められそうにない……

 

テルちゃん

照子はひたすらに可愛くて愛らしくて、惨めだった。あんな子と出会ったら絶対好きになっちゃうし、絶対マモちゃんと同じ態度をとってしまう気がする。

その献身さはもっと好かれたいって気持ち何だろうけど、マモちゃんからしたら自分に介入されすぎたくないんだよな~~~~~分かる~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

会社をやめた彼女が同僚の女の子と最後の会話をしている際、自分のことすらどうでもいいのかと問われるシーンがある。マモちゃんになりたいと言い、彼がなりたがってた(それも適当に言ったものだけど)ゾウの飼育員になってしまう彼女は本当に自分のことがどうでもよくて、マモちゃんの側にいることだけを目的に生きている。執念だけが存在しているみたい。会社帰りでもないのに、シャワーを浴びているのに、自分をなげうって捧げてしまう恐ろしさ。彼女はマモちゃんに尽くすことで自分の気持ちを満たしているのではないと思う。尽くすことが目的だから、尽くす。それしか道がないかのように生きているようにみえる。

 

マモちゃん

ずっとクズだな、最低だなと思って観ていたがその嫌悪感はただの同族嫌悪であった。無条件に好いてくれる相手がいればつけあがってしまうのも、うざく感じてしまうのに何故かときたま愛らしく思えるのも気持ち悪いくらいに分かって、ただただしんどかった。「ヤラせて」はクズすぎると思ったし口ぽかーんと開けてドン引きしながら観てた。あんな気持ちになりながら見るラブシーンは初めてかもしれない。

彼はきっとクズでも最低でもなくてただ純粋にバカなんだと思う。鈍感で、人の気持ちが分からなくて、わがまま。仲原くんから中国の王様の話がされたけど、彼より彼をそうさせてしまった相手のほうが残酷なのかも……という自分の正当化に利用。

やっぱりクズだわ、男は。

 

 

葉子さん

あまり出番はないけどかなり重要な役どころ。劇中でも明言されている通り、わがままで頑固な女性。マモちゃんにイかれてるとメールするあたりかなりイかれてる。自分を客観視できないのか、見ないようにしているのか分からないがやっていることはマモちゃんと全く一緒。でもそうやって自分はこんなやつじゃないと思い込み、正当化する気持ちはわかります。

 

仲原くん

彼が主人公だったんじゃないかとすら思う。彼を見ることができて本当によかった。やっぱり、唯一報われなかったのは仲原くんなのだと思う。写真展で葉子さんに再会してしまったために、一生彼女から離れられず都合の良い関係を続けていくんじゃないかな。幸せになれればいいんだけれど……

 

 

幸せと愛

結局、幸せになるとは、愛とは何だったのか。私はこの映画を観て、愛なんて綺麗で下らないものにこだわる必要はなくて、自分の幸せが叶えばいいんじゃないかなと思った。たぶんそれは他人から見れば痛くて馬鹿みたいなことなんだろうけど自分にとって幸せならそれでいいんだろう。盲目的に、思考停止で世の中に蔓延る「愛」だとかいうものを過信し、求める人々へ、”愛がなんだ”だったんじゃないかな、と。