THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTYの感想を真面目に書いてみる

 先日、THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTYの二回目に行ってきました。通称「リミスリ」らしいです。


sleepingbeauty-movie.com

一回目を観てからどうしてももう一回観に行きたいと思い、交通費を払って観に行ってきました。

 

前回観たときはあまりの衝撃に頭の中が整理できなかったのですが、二回目を観たことでかなりまとまってきました。

 

ちなみに、一回目を観た感想は過去のブログにちょこっと載せています。

 

syasyasyakaijin.hatenablog.com

 

前述の通り、全然まとまってないのでかなりの駄文となっています。

でも二回観た今ならちゃんと書けるような気がします。きっと。

 

 

 

THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY

 

 この作品は映画監督、二宮健が2014年に制作した「眠れる美女の限界」のセルフリメイクである。原作は親子をテーマにした作品だったらしいが、今作では男女の恋愛が基調として描かれている。

 過去、現在、未来が同じ空間の中、同時に存在しているという、スポットライト理論がこの作品において重要なキーとなっており、時系列がめちゃくちゃな中、まるで過去、現在、未来を行ったり来たりしているような構成が取られている。(過去、現在、未来だけでなく現実、妄想も) 

 

 ストーリーは公式サイトをコピペ。

主人公・オリアアキは、29歳の売れない女優。女優を夢見て上京し、ふと立ち寄ったバーでサーカス団を営むカイトに出会う。それから10年、毎日小さなサーカス団でマジシャンの助手をするアキ。30歳を目前にしたアキには仕事への熱も生きる目標もない。ルーチンワークのように繰り返されるのは、催眠術にかかるという演技。体を浮かされ、剣を刺され、催眠状態を演じているうちに、やがてアキの精神は徐々に摩耗し、いつしか現実と妄想の境界が破たんを迎えようとしていた。何故生きるのか? 何を夢見たのか? 何を目指すのか? 唯一アキの中で美しい思い出として残るのは恋人・カイトとの時間・・・。自分が生きてきた人生の軌跡、アキが生きる現実と、叶えられなかった様々な妄想が入り乱れる。そして2つの世界の境界が壊れようとしたとき、アキの人生再生がはじまる・・・?!  THE LIMIT OF SLEEPING BEAUTY

 

と、まぁこんな感じ。主人公であるオリアアキはハムレットのオフィーリアに特別な思い入れがあり、オフィーリア役のオーディションにも行っている。オリアは、オフィーリアを縮めたものだと思われる。パンフレット情報だと、カイトの苗字はサダらしい。劇中には出てきただろうか、記憶がない。もう一人重要な存在としてブッチという存在がいる。これはアキの精神を写す存在として現れ、様々な助言や叱咤をする。

 

感想

 この間のブログでは、この映画は「考えるな、感じろ」がすべてではないかと思いながら感想を書いた。現実と妄想、過去と現在と未来が入り交じるような構成の中、何が正しくて何が間違っているのか、本当のアキは今どこにいて私達はいま何を観ているのか、そういったことを深く考え理解しようとせず一瞬一瞬を感じ取るような姿勢で観るのが最適なのではないかという考えであった。

 

 しかし、監督のツイートを見て、”謎解き”をしてもいいのではないかと思わされた。つまり、現実の時系列を頭の中で揃えてもいいのではないかということである。

 ここにはこの映画をより楽しむヒントが書かれており、カオスに交錯されたものを整理して、理解した先に見える何かが描かれているということではないだろうか。

 前回のブログで現実の時系列をこうまとめた。

 

アキ、家出する。カイトと出会う オーロラに入り二人が仲を深める カイトの死 オーディション オーディションに落ちる リュウと映画を作ることに ヤクザ クラブでドラッグ 運ばれて病院へ そこから幻想、妄想を見るように

えいがいろいろみた - 次の逃げ場所

 二回目を観てこれは違うなと思った。

 5つ目のヒント、「あなたにとって当たり前の存在が、他の人にとってはそうでないこともある。アキにとってそれは誰と誰と……」から推測するにブッチだけでなくカイトもまたアキが妄想の中に作り出した存在だったのではないだろうか。これは前のブログでも言及しているが、カイトがいないとなると最初からすべてが妄想だった、というオチも有り得る。劇中で描かれていないところに本当のアキがいて、その子の妄想が描かれた映画だったとしたら……

 

 カイトが実在する人物だという前提の元、もう一度現実の時系列を整理してみようと思う。

  1. アキ、家出する。カイトに出会う
  2. オーロラに入り仲を深める
  3. カイトの死
  4. オーディション
  5. リュウと映画をつくることに

と、ここまでくらいは現実かもしれないがこの先が読めない。精神病院と地下クラブはほぼ確実に妄想世界であるから除外。そもそもブッチが出てくるシーンが妄想であることを表している可能性が高く、そう考えると屋上で二人が話すシーン、アキが女優として成功した世界、精神病院、地下クラブ、オーロラが爆発するシーンはすべて妄想世界である。

 ただ、地下クラブであやしい薬の入った酒をたらふく飲んだことで妄想世界と現実が入り乱れるようになったとしたら、ヤクザに犯され地下クラブに逃げ込んだところまでは現実で、そこから女優として成功する妄想を見始めたのかもしれない。

 

また、一つ目のヒントでアキの髪について言及している。アキの髪型はカイトに出会った当初のボブカット、オフィーリアのオーディションを受ける時などのやや長めで赤みの混じったボブカット、女優として成功したロングの巻き髪、精神病院にいるときのショートカットの4つがある。

 

 唯一(?)髪型が切り替わるシーンがあり、アキとカイトがセックスをするシーンである。ぐるぐると回るようなカメラワークで撮られたこのシーンではカットが入るごとにアキの髪が切り替わっており、このシーンが一つ目のヒントと関連して非常に重要であることが分かる。どの時間のアキも同時に存在していたことを表しているのだろう。このヒントでは髪型というより「色」に重きを置いているようである。髪色が異なるのは赤みがかかった時だけでありそれ以外はすべて黒髪である。

 髪の色によって現実か妄想かを見分けられるとしたら、女優として成功したアキが黒髪であることから現実世界は赤いアキで妄想世界が黒いアキということなのだろう。ただ、そうするとカイトと出会ったアキが黒髪なので前提が崩れる。やはり、カイトは存在しないのだろうか。しかも、赤いアキとブッチが会話するシーンもありブッチが存在する世界=妄想世界という予測も外れてしまう。

 

考えれば考えるほどわけがわからなくなってしまう。やはりこの映画は考えずに感じるものなのだろうか。

 

解釈

このような検討を行った上で、ここから私の解釈による「リミスリ」の読み解き。

 

 一つ目のヒントがミスリードになっており、髪色と現実か妄想かは関係なく、現実の赤いアキもいれば、妄想の赤いアキもおり黒髪も同様である。一つ目のヒントが表すアキが「今」どこにいるのかというのは過去、現在、未来という時空としての位置であり、過去、現在、未来が同一世界に存在するスポットライト理論にも当てはまる。このことから、アキがカイトと出会った世界は現実であり、現実と妄想を見分ける鍵としてブッチがいるといえる。ブッチが出てくるシーンは屋上での会話、女優として成功したアキ、嵌められたアキ、精神病院、地下クラブ(物語後半)がある。

 

  アキはカイトの死から、女優として成功するという夢を現実だと誤認してしまうようになった。過去から現在へ、現在から未来へとスポットライトが移動するように現実と妄想も同じ空間に存在しており、現実から妄想へ、妄想から現実へとスポットライトが移動するということをスポットライト理論を持ち出すことで伝えたかったのではないか。「この世界は全部お前のもんだ」というブッチがアキへ向けた台詞。まさしく、過去、現在、未来、現実、妄想のすべてが同一世界に存在しそれが全部アキのものだと言っているのだろう。この世界は全部自分のもので、何もかも思い通りにいくかもしれない。だが、現実と妄想の混在した空間の中、現実に目を向けなければならない時が来る。

 

 現実から目をそむけ続けたアキはカイトとの決別をすることでついに長い夢から目を覚ます。カイトという心の拠り所を失ったアキが作り出した妄想から抜け出すために手放さくてはならなかったカイトという存在。カイトが死んだ30歳になり、アキは生きるか死ぬかを強く考えるようになった。カイトと同じ年齢で死ぬことができたら、そんな風に考えていたかもしれない。オーロラとカイト、アキにとって重要な存在であったと共に、過去に縛り付けるものでもあった存在と自ら別れることを選択することが必要だったのだ。

 

 

魅力的な楽曲

ストーリーについて考えていたら頭が痛くなってしまったので、ここで劇伴の紹介。どの楽曲も監督が自ら選曲したという。

soundcloud.com

 

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是非聴いてみてほしい。

 

 

まとめ

結局まとまらなかった。考えれば考えるほど深みにハマったような……三回目を観たらもう一度書いてみたい。