アニゴジ、見た
アニゴジ、見た
「GODZILLA 怪獣惑星」を観ました。通称「アニゴジ」らしいです。
言語中枢を破壊し、語彙が「ヤバい」の一単語しかなくなる系映画はこの世に多く溢れていますがこの映画もその内の一つでした。まぁそんなに衝撃的な映画ではなかったのですが。
ゴジラ歴
わたしはゴジラをほとんど見たことがありません。見た記憶がある作品は、1999年公開の「ゴジラ2000 ミレニアム」、2014年公開のアメリカ映画「GODZILLA ゴジラ」、2016年公開の「シン・ゴジラ」のみです。
今回観た理由は、アニメだから。くらいでそんなに楽しみにしていたわけでもなく何となくで観ました。
感想を書くに至る経緯
普段映画の感想を事細かに書く習慣はないのですけれど、今回は書いてみることにしました。その経緯を語ると、まず観る映画の量と記憶力の減少が関わってきます。
最近、空いている時間が比較的多いことと、TOHOシネマズのシネマイレージカードを作ったことで映画を観る機会が増えました。元から映画館で映画を観ることは好きだったのですが。
そして、記憶力が減少しつつあります。ついこの間観た映画のタイトルも数分考えなければ思い出せません。ましてや、内容なんて。
といったわけで観た映画の感想を記していけばいいのではないかと考えました。備忘録的なものとして。
もう一つに、このブログを観たことです。
Twitterにより第三者がこの記事を紹介しておりそのツイートを見た方もいるかもしれません(わたしもRTしたので)。諸事情により、この戸田真琴さんのことは以前から存じ上げていました。ちょっと可愛いくらいとしか思ってなく、大変失礼ですが、まさかこれほどまでに素晴らしい文章をお書きになるとは思ってもいなかったので驚嘆すると共に映画の感想書き欲的なものが刺激されたわけです。よかったらこの記事を見てください。わたしはこれからこの記事に即した感想を書くつもりなので。
以下ネタバレを含みます。でもみんなに読んでほしいからストーリーの根幹に関わることは選択して表示するようにしておくよ。
感想
ストーリーを軽く紹介しておくと、近未来、ゴジラに襲われ、地球の離脱を余儀なくされた人類が地球を取り戻すため(その他人形生命体にとっては居住地を得るため)地球に戻り、ゴジラと再び対峙する、といったもので主人公はハルオ・サカキという日本人です。彼はゴジラに両親を奪われ、ゴジラに対し人一倍憎しみを抱き独自に対ゴジラ戦術を練っていました。この作品には地球人以外の異星人も登場し、共にゴジラへ立ち向かう人型生命体として協力します。
脚本が虚淵玄ということで虚淵節が出てるゴジラとはいったいどんなものだろう、と若干の不安を抱きながら劇場へと足を運びました。これが以外とマッチしていたのですね。というか、虚淵玄らしさが出ていたかどうか怪しいところがあります。人はもうあっさり死んでいきますが、それはゴジラ作品ではなくてはならない(?)要素ですし、必要以上に人員が損なわれることはありませんでした。エリオットがあそこで死ぬのは確実に必要でしたからね。
この作品は基本的に宇宙で居住する様子と、2万年が経ち変わってしまった地球の様子が描きだされますが、最初に怪獣が地球を襲った1999年~を映すシーンでは現代を、それこそ「シン・ゴジラ」的な現代をゴジラが襲ったらどうなるか、といった現実に近いことが描かれており、「シン・ゴジラ」でゴジラが倒されなかったパラレルワールドを描いたifストーリーとして楽しむこともできるかもしれません。若干の無理がありますが。
戸田真琴さんが「神様みたいだ」と書かれていたようにGODZILLAはさながら破壊神的存在なのです。文字通り。人の力をどう駆使しようとも足元にも及ばない存在が神であると思いますが、ゴジラも人類を絶滅一歩手前まで追い込む神級の力を持ち合わせています。その神に人類が立ち向かう。おそらくいくつかのゴジラ作品はこのパターンでしょう。圧倒的な強さに挫けず、勝利を確信して特攻する姿は美しいものです。また、とある登場人物がゴジラ討伐の要となるかもしれないシーンで「こんな時ばかりは祈る神がいることが羨ましい(大意)」と口にしています。ゴジラも神的存在でありながら、人々は別に信じる神が存在しており、あるいは存在していなく、「神」という存在についても考えされられました。
戸田さんのブログに
「本当に意味のある戦いというものは、戦っているその両方がちゃんと美しいんだ」
という言葉がありました。そう、美しかったのです。この言葉の真意を正しく読み取ることはできていないかもしれませんが、真剣に汚れた心を持たずお互いがお互いを敬い合う戦いには善悪を超えた何かがあり、それが美しさであり、戦う両方が己の信念や欲望に基づき戦う姿が、暴力や喧嘩に纏わりつくマイナスイメージとは全く逆の印象を抱かせたのではないでしょうか。
また、自身の生活に落とし込み、現実を生きる人々も常に何かと戦いながら生きているといったようなことを書かれています。この作品で人間が地球を去らざるを得なくなったように日々、わたしたちも何かと敵対していて今の状態や地位を捨てなくてはいけない日がくるかもしれません。つまり、わたしたちはひとりひとり「ゴジラ」がいて、その「ゴジラ」と戦っているんだということです。
彼女はブログの冒頭で虚構を描くことは様々なものに隠された本当の現実を描くためであると書いています。彼女は「シン・ゴジラ」に本当の現実、とりわけ自身に近い日常の本質を見出したのだと思います。わたしはこの作品から現実の人類の姿を見つけたような気がしました。確かに、日々何かと戦っているかもしれない。だが、それと同時に我々は諦めることもしているのです。ハルオ・サカキはそれでも諦めず戦った。ハルオ・サカキのような美しく戦える人間だけが全てではないでしょう。諦めて、逃げ出す人々もいる。誰もがゴジラに立ち向かえるわけではありません。力がなくてはただただ倒されることしかできません。わたしたちは、日々仕方なしに敵に負け続けの人生を送っているのかもしれないのです。
そして、最後を
「…そして、こういう、人々の本気をひしひしと感じる作品に出会うと、わたしはなにをやってるんだろう?と、思わされます。本当に命を削って生きているかな?できることをさぼってはいないかな、【誰か】にとってじゃなくて、【自分】に対して恥ずかしい生き方はしていないかな。溢れる問いと、理想とかけ離れた自分に落ち込みもしますが、問いがある限りは、歩いていかなくちゃ。と思うんです。やっぱり人間は、一生懸命生きているほうが、きれいです。誰もが、自分のことを好きになれますように。なによりまず私が、私のことを好きになれますように。」