メモ

いつか役に立つかもしれない。立たない可能性のほうが高い。

 

 

 心の性なんてものはない気がする。ずっと思ってることだ。性という概念は主に身体の性であるセックス、社会的文化的な性であるジェンダー、そしてあらゆる性行動を総称したセクシャリティに分けられる。というか似たような話をした。

 

syasyasyakaijin.hatenablog.com

 

 性自認と性指向に関してはセクシャリティに属するはず。だからおそらく心の性みたいなものはセクシャリティに分類されるもの。ジェンダーレス男子、女子なんて言葉が、中性的な人を表しているためになんとなく、ジェンダーが心の性的に受け取られるかもしれないが、ジェンダーはあくまで社会的文化的な性であって、いわゆる男らしさ、女らしさなのであるから、ジェンダーレス○○は、そういった偏見に囚われない”格好”をしようということなのだろう。そう、だからジェンダーレスはあくまでもスタイル。

 でもトランスジェンダーは明らかに性自認や性指向のお話で、セクシャリティジェンダーの厳密な区別はなされてないようにも思える。わたしの認識が誤ってるのかもしれないし、そもそもそんな名前はどうでもよい。

 

本題

 ジェンダーだろうがセクシャリティだろうがどうでもいい、心の性というものはあるものだとされている。だからこそ性同一性障害みたいなことが起きるわけで。この性同一性障害トランスジェンダーと全く同義ではないらしい。詳しいことは分からないがトランスジェンダーの中に性同一性障害が含まれる、という解釈でいいらしい。そんなものどっちでもよい、心の性なんてないという立場に立っているのだから。

 

 わたしは心の性を実感したことはない。自分が男性、あるいは女性、どちらの性でもないと明確な理由を持って断言できる人はいるのか。勿論心の話である。性分化疾患でもない限り、身体を見ればセックスがどちらか分かる。よくわからないものは心の方だ。

 

 ジェンダー的な偏見にまみれてない世界に子供を産み落としてみたい。どうなるのか。心の性なんてものはジェンダーによって支配された社会によって生み出されただけではないのか。性別という概念を知らない人物が自分の心の性を実感できるとは思えない。だいたい、だいたいにして心の性というのは主に口調だったり、考え方だったり、感情だったりと関係があるわけでしょう、心の問題と密接につながっているわけだから。それってなんなの、こうだから男性、こうだから女性というのは古くから根付くジェンダー的な偏見に基づくものじゃないですか。結局、そういうことでしょ。それが物語っている。心の性として言われてるものとジェンダー的性差で言われることは一致する。戦隊ヒーローや電車が好きだから、男性? 

 

  どの性別を好きになるか、性指向は心の性とは関係ないことがレズビアンやゲイの存在が証明している。関係ないんだよ、どの性別を好きになるかは心の性とは関係ないの。じゃあ他のファクターは心の性に寄与していいのかよ。何故性指向とかいう大半の男女で決まっている事項が心の性とは無関係だっていわれているのにその他の何かしらが心の性を決定する要因になり得る。

 

 よくわからなくなってきた。心の性を実感する要因を教えてください。自分が男だ、女だと断言できる根拠を教えてください。それがジェンダーに基づいたものでなかったら納得してこの記事を消します。メモじゃなかった?